凍結ジャック・ニコルソン

某スタートアップ企業で鬱病罹患し事実上クビになり憎悪憤怒憂鬱に塗れ表現創造で解脱目指す

ぐちゃぐちゃに絡み合った毛糸みたい

そう、思い出した。自分に価値がないようなそんな感覚。誰も自分を見ていないような、自分の顔と身体が透明のような、そんな感覚。

 

雑誌か何かを読んでいるとき「モテるためには相手があなたと一緒にいたくなるメリットを提示しないといけない」と書かれているのを見た。

 

メリット。相手が僕と一緒にいるメリット。考えたことなかった。そんなもの提供しないといけないのか。今まで関係をもった人にはメリットを提供できていたのか。

 

「メリット」という言葉を使うと凄く無機質で無色透明な感じがするけれど、うまく言葉にできなくても、意識の下に潜っていたのしても、関係を持つときは何かを求めていることには間違いない。だから誰かと一緒にいたいと思うのだろう。

 

そう、「彼女がほしい」「彼氏がほしい」と思うとき、その想いは意外と単純じゃなかったりする。

 

生きることの楽しさとか苦しみを分かち合う人がほしい。空いた時間を埋めてくれる人がほしい。ご飯とか遊びとかを一緒に楽しめる人がほしい。セックスができる人がほしい。そういう風に何となく外に向いているようなときもある。結果的には内側を向いてるけど、焦点が外側のとき。

 

相手がいるという事実で心の穴が埋められる。自分のことを好きでいてくれる誰かと一緒にいることで満たされる。「彼女がいる」というステータスを持っていたい。誰かが一緒にいてくれることで自分への価値を感じる。セックスすることで誰かが愛してくれている気がする。こんな風に内側に向いてるときもある。行為としては外だけど、内側の自分の孤独、価値に関しての内省の結果としての行為。自分を満たしたいという思い。

 

SNSでこんな言葉を書いている人がいた。正確じゃないけど、こんな感じだったと思う。

 

「好きな人が結果的に彼女彼氏になるのはわかる。一緒にいたい人がいないのに、彼女彼氏がほしいって言ってるやつは自己満。自分を満たしたいだけ」

 

言いたいことはわかる気がする。誰かと一緒にいることに関して理性だけで考えるとそうなのかもしれない。

 

でも人間は理性的じゃない。人との関係に関しては特に言葉で説明できない何かがある。

 

何とか誰かと一緒にいたい思いを言葉にしてみるとする。言葉にしようとすると「寂しいから」と、額面上はすごく利己的な言葉になるかもしれない。クリスマスとかのイベント事でいつも1人で、友だちはみんな彼女の話をしていて孤独を感じる、何か辛いことがあるときに共有できる相手がいない、そういう日常で生まれる感情の積み重ねで「彼女がほしい」という解決策が思いつく。言葉にしようとすると、表向きはそういう思いかもしれない。

 

そしてこの思考の流れに対して、さっきのSNSの言葉は「自己満足だ」と形容する。

 

でも、もし本当に「自己満足」という形容が正しいとして、もしさっきの思考の流れが本当の本当に心の中で起きていることの外部化だとして、自己満足で何が悪いのか。本当に自己満足だったと色んな人から認められたときに、自己満足の何がいけないのか。自己満足以外で行動することなんてあるのか。さっきのSNSの投稿者は自己満足で人と関係を持ったことはないのか。もし無いなら、どんな動機で関係を持ったのか聞いてみたい。

 

人と関係を持つときの目的なんて、在って無いようなものだと思う。「目的」なんてことを考えたときに、その関係は空虚になる場合だってある。「目的」があったからといって「結果」がピタッと当てはまる訳でもない。いろんな行動や時間を経て、求めていたものと違うものが満たされることだってある。求めていたものがそもそも本当の本当に求めていたものとは違っていたかもしれない。自分が求めていたことに気付いていなかっただけかもしれない。

 

そう、ぐちゃぐちゃに絡み合って玉になった糸みたいに、複雑だ。人間関係、特に恋愛対象(「恋愛対象」という言葉自体がある枠組みを押し付けるから適切じゃないかもしれないけれど)の相手に何を求めるか(何を求められているか)は、自分でも分かっているようで分かっていない。「分かっている」と思っている人はもしかしたらあまり考えていなくて社会通念に枠組みを押し付けられて「普通の」恋愛をしているのかもしれない。それが悪いとは全く思わなし、「恋愛って何?」って疑う人でも自分の感情が何かなんてわかってない。

 

でも色んな形がある。「親密になりたいから付き合いたい」「『彼氏』『彼女』『付き合ってる』なんて名前を付けたくない」「心のどこかでは名前は付けたいけど、その一歩を踏み出すのは怖くてそのままにしている」「別に名前を付けなくてもセックスだけできればいい」「セックスもしたいけど少しだけ『恋愛』と呼ばれるような素敵な時間を過ごしたい」。

 

今はわかりやすく言語化しているだけで、往々にして言語化できない。もしくは言語化できると思っていても本当に感じていること、本当に思っていること、本当の自分は雲がかっているかもしれない。色んな形があってもいいと思うし、わかりやすい形に落ち着くことを期待する必要もないと思う。

 

一緒にいてくれる相手を求めるなんて自己満足で良いと思う。むしろ「自分の言動に自分が満足する」というのが自己満足の意味なら、自己満足以外の何物でも無い気もする。

 

僕が思ったのは「わかりにくくても他の人が口出しするようなことじゃない」ということ。もし当人たちがお互いが求めていることのギャップで苦しんでいるのなら、当人たちが話し合ったり別れたりして解決すればいい。でも外の人間が「それは自己満足だ」「セックスだけする関係なんてありえない」「そんな関係おかしい」なんてジャッジするのは少し気持ちが悪い。そして、僕の「気持ち悪い」という感覚はおかしくない気がする。

 

人が複雑だってことを受け入れたい。人と人との関係はわかりにくいってことを受け入れたい。型にはめないでほしい。枠を押し付けないでほしい。僕はそう思った。だから言葉にしてみた。