凍結ジャック・ニコルソン

某スタートアップ企業で鬱病罹患し事実上クビになり憎悪憤怒憂鬱に塗れ表現創造で解脱目指す

恋人ごっこの儚さが、こわい

すぐにでも会えなくなる気がして。すぐにでも世界についての言葉を交わし合うことがなくなる気がして。すぐにでも身体の温度を感じることができなくなる気がして。

 

世界中と繋ぐ電子通信網上の空間での出会い、それには儚いものがある気がする。

 

例えば、共通の友人を通じて知り合った場合、段階みたいなものがある。特に意識をしないまま何度か共通の友人を通じて会う、どこかのタイミングで連絡先を交換する、仕事終わりや休日に趣味の話や仕事の話でテキストを渡し合う、数日か数週間か数ヶ月か経ってお互い気が合うなと思って2人だけで会う、食事を共にしたり映画を一緒に見たりと何度かデートを重ねる、どちらかが「付き合ってほしい」と心の中を打ち明ける、身体を重ねる、何度も身体を重ねたり他の誰にも話したことの内容な心情や過去を打ち明ける。

 

別に順番がある訳でもない。何が正しい訳でもない。ペースも関係性の深さも、全然違う。

 

会った当日に身体を重ねることだってある。言葉のやりとりをしている時から探り合って、でも一週間後には会う約束をして、そして会った日にホテルに行く。そういう出会いだってある。

 

一般的が何かなんてわからない。でも、こういう関係は、身体の一番恥ずかしい部分を見せ合うまでの時間は、短めだと思う。連絡をした日に会ってセックスすることだってある。そういう風に、ちょっとずつお互いの性格や好き嫌いや行動習性を知る訳ではなく、すごく短い時間で、反対にお互いのどんな好き嫌いがあるかとかどんな仕事をしているかとかを知らずに、お互いのすごくプライベートな身体の部分を重ねる。

 

何も悪くない。間違ってなんていない。でも、別れもすぐにきそうな予感がする。

 

セックスして全く合わないこともある。その一度きりでもう連絡をしたくなくなることもある。反対に、僕はもう1回セックスしたいと思っても相手から無視されることだってある。人間だ。合う合わないがある。タイミングがある。

 

でも時折、すぐに身体を重ねて、それでも波長がすごく合う人がいる。話の相性もある。「相性も」というか、話の相性が合うからセックスの相性も良いし、セックスの相性が良いと話の相性も合う。そういうものだと思う。

 

そういう波長が合う人でも、そういう風にすぐに身体を重ねた人でも、別れがすごくこわくなる。そして、すぐに身体を重ねたからこそ、いつでも別れがすぐにやってきそうな気がする。儚さがこわい。

 

2人で会っている時は、シンプルに楽しい。ご飯も一緒に食べるしお酒も飲むしセックスもする。このままずっと一緒に居られると楽しいだろうなと思うことだってある。

 

でも、頭の片隅では、いつもこわい。気付かないフリをしている気がする。

 

「付き合っている」「恋人」なんて、名前もつけていない。「恋愛」かどうかなんて確かめていない。名前もつけるのも、恋愛かどうか確かめるのも野暮な気がする。同時に、「彼氏になりたい」「彼女になって」って言わないことが卑怯だと言われると、「そう、僕は卑怯だ」と認めると思う。勇気もないし準備もできていない。「恋人ごっこ」と呼ばれても別に気にしない。たぶんそうなんだろう。どうだっていい。

 

来週も会う約束をした。

 

お互いに言葉にも表情にも出さず、わかっていながら気付かないフリをしている気がする。もしかしたら、今を楽しもうって思っているだけかもしれない。でも、僕は心のどこかで、突然会えなくなる日が襲ってくることを恐れている。会う約束はしたけど、今突然連絡が来なくなってもおかしくない気がしている。こわい。

 

昨日、セックスして夜が明けた4時くらいに目が覚めた。こわくて、少しだけ涙を流した。

 

そんなにこわいなら告白して付き合えばいい、と言われるかもしれない。そして、たぶんそれは正しい。もしかしたら「付き合ってください」と明日言うかもしれない。でも、わからない。名前を付けることが正解なのか。相手が同じことを求めているのか。自分がそれを求めているのか。卑怯だと言われても仕方ない。でも、そういう、名前を付けられない関係や感情があることは理解してほしい。それだけは事実だとわかってほしい。

 

今もこれを書きながら泣いている。明日からその人との関係が絶たれ、もう彼女の体温を感じることがないかもしれない。そのことを考えると、すごく哀しくなる。淋しくなる。こわい。

 

儚さが、恋人ごっこの儚さが、こわい。振り向いたら別れがやってくるかもしれない。こわい。もう彼女の体温を感じられないかもしれない。こわい。