凍結ジャック・ニコルソン

某スタートアップ企業で鬱病罹患し事実上クビになり憎悪憤怒憂鬱に塗れ表現創造で解脱目指す

「退職したときに挨拶するのが社会人としての当然のマナーだ」といううんちツイートについて

「退職したときに挨拶するのが社会人としての当然のマナーだ」というツイートが流れてきた。俺はある何人かを除いて挨拶せえへんかった。150人くらいの規模の会社で、社長、副社長、事業部長、他の部署のあんま喋ったことない人たちには挨拶せんかった。だからツイートに反応してもうた。案の定、意見は割れてるみたいやったけど、「こんなに挨拶できない社会人がいてびっくりです、残念です」みたいに何も考えず賛同してるアホもおった。

 

リプの中には「ハラスメントを受けて病んだ」「ベッドから起きられへんくらいで休職してたからフェードアウトした」「ムカつくことがあったから挨拶してない」みたいな意見もあった。元のツイートの主は「心中お察しします」「そうなんですね」と返信してるものの、明らかに理解できへんかった。

 

完全に「挨拶は社会人としてのマナーだ」で思考止まっとった。「どんな状況であれ挨拶すべきだ」って書いてたからな。「どんな状況であれ」って、場合によってはまじで恐ろしい考え方やで。こういう「マナー」「ちゃんとした社会人」みたいな思考停止、固定化された観念が人を苦しめるんだよな。という訳で俺は自己満足のために文句を言い続ける。


社会人のマナー、ちゃんとした大人、常識とか、うっせぇ糞野郎って感じですわ。うつ病になってもうちゃんと生きるのは諦めてん。退職の挨拶をして心がしんどくなるなら、自分優先したいねん。わかるで、社会不適合なの。でももうちゃんと生きられへんねん。ちゃんと生きようとしたら死にたなんねん。

 

もちろんあれやで、社会人のマナー、ちゃんとした大人、常識、みたいのが重んじられてそれから外れると「情けない」「間違い」って決められる世界が日本の大半を占めてるのも分かるで。でも俺がどう生きようが、お前らがどう言おうが、お前らに俺の価値決められたないねん。

 

だから反論したかて、主張したかて意味がないのは分かってる。「例えばベッドから起きられない、酷いこと言われたから退職の挨拶したくないんです」ってどれだけ言おうが理解、共感されへんのも分かってんねん。だって体験せな分からんから。頭固まったら誰が何言おうが伝われへんねん。

 

だからあれやで。俺がなんか反論したんはただの自己満足や。本当は反応せん方が俺にとっては健康やったんや。精神疾患、心の疲弊、心身の病みを理解してくれへん人はいるって分かってんねん。理解って、「病気なんだな、大変なんだな」くらいでええねんで。

 

それでも理解されない部分があるってのは分かってんねん。例えば人を殴って「本当に心病んでて恨んでたんです」って言っても理解されへんのと、もしかしたら構造は似てるかもしらへん。アクションが暴行罪か社会人のマナーを破るか、の違いなだけやからな。

 

一方で理解がある世界もあり、理解がなくても生きていける世界もあると思ってる。俺はそういう世界を見つけて、俺が輝ける場所で俺が輝ける能力を使って輝くねん。個性を光らすねん。「常識」「社会人としてのマナー」「ちゃんとした大人としての働き方」に綺麗に準拠するのはむずいって理解してん。

 

言うとくけど、社会人のマナーに全ては向かいたい言うてるんちゃうで。「マナーだから何としてでもどんな状況でも守ろう」みたいな思考停止が嫌やねん。リスペクト、尊敬は大事や思う。ただそれをメタで理解した上でも、「やりたくない、本質がわからない」って場合があると思うねん。

 

こういうの、会社に捨てられうつ病のなって理解したことやから、仕方ないねん。だから俺は死にたいと思わへんくらいの、ベッドで動かない状態にならないくらいに、可能な限り社会と調和して生きていくって決めてん。たぶんある人たちにとっては「情けない」「間違い」「ちゃんとしてへん」てなる思う。

 

それでも、そうやって他人の評価が落ちたとしても、多少のマナー違反があったとしても、ちゃんとした社会人としての振る舞いができなくても、今日生きよう、明日生きよう、と思えることを大切にしたいねん。だから申し訳ないけど、常識とかちゃんとした社会人とかそういう固定観念には抗うわ。

 

社会に迷惑かけるかもしれへん。でも多少わがままでも、多少迷惑かけても生きていきたいおもてんねん。「自分らしく生きることで社会人のマナー破るな」って、ラインが難しいけど、抽象化したところでは自分らしく生きていきたい。

 

常識とかちゃんとした社会人の輪に入るのは諦めた。外側にも俺が輝ける世界があると信じてる。社会不適合者として生きていくわ。よろしゅう。以上。